S耐 34GT-R

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S耐34GT-R。34GT−Rよりボールベアリングタービンが採用された。ところが実際レースで使用すると各チームタービンブローだらけ。34純正ボールベアリングは使い物にならないという事でこっそりメタルタービンを使うチームもあったとかなかったとか。そこでタービンのオーバーレブではないかとバランスの共振点を変更したり様々な対策をとったがなかなか問題は解決しなかった。そして最終的に行き着いたのが油圧系の問題。32グループAはオイルパンを深くする加工をして対策していたがN1やS耐はNクラスである為加工が許されない。32N1時代のスリックからすると34時代のスリックは相当グリップが上がっており年々増す横Gに設計の古いRB26の油圧系がついていかなくなっていた。その上オイル量を絞っているボールベアリングタービンはわずかな油圧変動でタービンブローを起こしやすい。34が純正採用する前から社外メーカーが街乗りでボールベアリングタービンを販売していたが、所詮街乗りパーツ。レースディスタンスでサーキットの横Gに耐えられる構造のモノではなかった。その使いものにならない34ボールベアリングタービンを救ったのが「近藤レーシング」の近藤氏である。(※これは筆者独自の解釈なので言葉にトゲがある点はお許し願いたい)

オイルパンの容量増しが許されないS耐のレギュレーションの中、いかにして安定した油圧を確保するか。そこで最初は柔らかいホースがオイルパンの中にJの字に配置され左右にオイルの吸い込み口が動く構造のものを試作した。その後、度重なるトライ&エラーで回転型のストレーナーが考案された。ニスモがレース中の油圧のロギングをしたら横1本線状態。まったく油圧が振れない。タービンブローもぴったりと止まった。格下のランエボの追い上げ阻止でクラス超えて全体にブースト規制をかけたり日産も苦しい戦いをしていたが、そのGTRを救ったのがこの近藤レーシングのストレーナーである。

このストレーナーの威力がニスモで確認されてから間もなくS耐34GT−R全車にこのストレーナーが標準装着される様になった。この部品は近藤レーシングで手作りされているが日産純正ニスモ部品として純正品番を与えられている。

34がS耐から撤退した後も、ニュル24時間などいくつかのレースに34GT−Rが出場していたが、そんなレースがある度にニスモからこのストレーナーの注文が入っていた。もう現在の高性能レース用タイヤで古い設計のRB26GT-Rをホンキで走らせるには絶対欠かせないパーツとなっている。このパーツは特許を取得している。

ここで筆者が近藤レーシングに出入りして知った事、それはヨシムラ時代にPOP吉村氏から近藤氏が直接吸収したトライ&エラーの精神である。理屈をこねる前にまず思いついたらやってみろ、ダメだったまた次を考えればいい。固定概念を排除しドライバーの言葉をよく聞いてひらめいた事は何でも具体化してトライする。このバイタリティのすごさには筆者も驚かされた。発明王エジソンの「発明は99%の努力と1%のひらめき」という言葉があるが、天才エンジニアの仕事を目の当たりにしてその言葉を肌で感じる事ができたのは筆者にとって貴重な体験であった。

34S耐をきっかけにレース界に新規参入した数多くのチームが近藤レーシングでエンジンメンテナンスを受けていた。誰もが知っているチャンピオンチームも当初は近藤レーシングでエンジンを組んでいた。生涯現役のエンジニアである事にこだわり続ける近藤氏。現役の技術者として常に新規参入する若手の技術者にレースメンテナンス技術の基本を教え続けてきた功績も非常に大きいのである。